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2010年8月

2010年8月22日 (日)

関東平野の名峰筑波山を訪ねて

 休日を利用して名峰筑波山を訪れてきました。「つくば」とは長いつき合いで仕事でもプライベートでも数え切れないほど往復していますが、どうしたものか筑波山は今回が初めての訪れでした。


 筑波山はつくば市北端に位置する標高877mの双峰で、東側の頂が女体山で標高877m、西側の頂が男体山で標高871m。その美しい姿から富士山とも対比され、「西の富士、東の筑波」と並び称されています。古くは『万葉集』にも詠まれ、日本百名山、日本百景の一つに挙げられている名峰です。


 筑波山の西方に位置する筑西市の明野ひまわりの里には何千本もの向日葵やキバナコスモスの花が咲き誇っていました。ここで筑波山を背景にした向日葵の写真を撮ろうと畑の中を奔走したのですが、ほとんどの向日葵は西の太陽の方向ではなく筑波山の方を向いていたので期待はずれでした。


 その代わりキバナコスモスはいろんな方向を向いていたので、まあまあの写真が撮れホッとしました。ただ、この時は炎暑下でしたのでキバナコスモスのオレンジ色は暑さを倍加させるような感じもありました。

 山岳信仰の対象とされてきた筑波山の拝殿が筑波山南面の中腹にあります。すぐ近くまで車で登っていくことが出来るので便利です。本殿は男体山山頂と女体山山頂にあってそれぞれイザナギノミコトとイザナミノミコトを祀っています。この神社のところからケーブルカーで山頂まで登ることができるようになっています。


 筑波山というとガマの油売りが有名です。油売りの口上が正しければ「鏡の前におくと己の醜い顔を見て驚き、タラリタラリと脂汗(油)を流す」とのこと。耳後腺および皮膚腺からの分泌物と推測されているようです。私はがまの油ではなく、がまの置物を買ってきました。実際のがまがどうなっているか分かりませんが、筑波のがまは前足が4本指、後ろ足が6本指の「四六のがま」として有名です。置物の前足も確かに4本指でした。 → 四六のがまのエッセイ

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2010年8月18日 (水)

占守鋸草:戦争の忘れざるべき歴史を秘めた花

 今日8月18日が、ソ連軍による北海道占領を防いだ占守(シュムシュ)島の戦いが始まった日であることをご存じの方は少ないのではないでしょうか。私も、恥ずかしながらつい最近知ったばかりです。

  占守島の地理(塩竃市HPを修正)
 実は毎年7月から8月の頃、小石川植物園の一角にひっそりと占守鋸草(シュムシュノコギリソウ)の花が咲いています。この花は千島の北東端にある占守島で発見されたので、この名前が付いたとのことで、国内では利尻島、礼文島、北海道北部の山地にに分布しています。  

小石川植物園にひっそりと咲く占守鋸草(シュムシュノコギリソウ)の白い花
 園内でこの花を見つけた時は珍しい名前だなと思いつつも何気なく写真を撮っていました。しかし、最近占守島の戦いのことを知り、この花は我々が忘却してはならない戦争の歴史を思い出させてくれる、貴重な植物だと認識を新たにしました。

 占守島の戦いの概略は以下の通りです。すなわち、日本がポツダム宣言受諾し終戦を迎えた昭和20年8月15日から3日も経った8月18日に、千島列島の最北端の島「占守島」にて武装解除を進めていた日本軍に対し、ソ連軍が突然上陸して攻撃を掛けてきました。スターリンの領土拡大の野心の下、北海道北半分占領を視野に入れた攻撃でした。

 この行為は国際法上の違反行為です。日ソ中立条約を破り、しかも終戦を迎えた3日後に攻め込んでくるとはまさに「火事場泥棒」のような卑劣な行為です。ソ連は降伏5日前の日本に対して、一方的に日ソ中立条約を破り宣戦布告をし、満州侵攻を始めています。占守島侵攻はこれに続くものです。

 武装解除中で人員も少数の日本軍でしたが、必死に防戦しソ連軍は甚大な被害を出してします。結局、この占守島で苦戦したソ連は北海道まで到達できず、北海道北部がソ連に占領されることを免れたわけです。このように、占守島の戦いは我々日本人が決して忘れざるべき戦争の歴史の一コマなのです。

 占守島の戦い (Wikipedia)
 北千島占守島の戦い
 占守島(シュムシュ島)の戦い・・ロシアとは ...
 サムライ魂 ~占守島の士魂部隊 (YouTube)

 占守島の戦いは8月後半でしたので、その頃も占守鋸草の白い花が島内に咲いていたに違いありません。占守鋸草にはこれからも可憐に咲き続け、人々に重要な歴史を語り続けていってもらいたいと思います。


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2010年8月 8日 (日)

残暑の夏空にサルスベリの花が満開

 立秋が過ぎても厳しい残暑が続いていますが、そろそろ連日の猛暑が少しは和ぎそうです。台風4号が沖縄付近に発生し、その影響で明日は雨の予報になっています。今週は旧盆を迎えますが、例年ですと旧盆を過ぎて少しづつ秋の気配が増してきます。涼風の到来が待たれます。

 今日、小石川植物園に行ってきました。暑さを避けるため、朝9時の開園に合わせて入園して、1時間ほど園内を探索してきました。最近の猛暑で植物の様子が気がかりでしたが、サルスベリ(ミソハギ科)の花が残暑の夏空の下、見事に満開になっていました。

 園内の日本庭園に植物園のシンボル的な旧東京医学校の赤い建物が建っていますが、この前に大きなサルスベリの木があって、夏の時期に立派な真紅の花が咲き続けます。花期が長いことから百日紅の別名があります。



 サルスベリは真紅色やピンク色の花が目立ちますが、薄紫色や白色のものもあります。木の幹は名前のとおり「サルも滑る」ようにつるつるしています。


 秋の七草の一つオミナエシ(女郎花;オミナエシ科)も盛んに咲いていました。多年生草本で高さ1メートル前後になり、茎は直立しています。オミナエシを見ると少し秋の気配を感じます。


 オミナエシの隣にはオトコエシ(男郎花;オミナエシ科)の白い花も咲いていました。華やかな黄色のオミナエシ(女郎花)と対になった名前ですが、オミナエシに比べて質実な感じがします。

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2010年8月 1日 (日)

「多幸の樹」は懐かしいガジュマルの木です

 今年の7月は梅雨終盤の集中豪雨、梅雨明け直後からの連日の猛暑、参議院選挙での政権与党の敗北、巨大コンニャクの花の開花など記録的な出来事が相次ぎました。また、先週は仕事上のビッグイベントであるマイクロナノ2010(マイクロマシン/MEMS展 & シンポジウム)も盛況の内に閉幕し、大変な7月がようやく過ぎ去った気がします。7月の季節のスケッチも月内にアップでき、やれやれです。

 そして今日から8月に入りました。猛暑はもう少し続きそうで、中旬のお盆の頃までは、しばらくの我慢です。今日、近くのスーパーに行ったところ、店頭に「多幸の樹」という素晴らしい名前の観葉植物が目に入りました。一見するとベンジャミンのようでしたが、説明書きを読んでみたら多幸の樹の正体は懐かしいガジュマルの木でしたので、迷わず買い求めました。 

 1988年から1990年までの2年間、仕事で沖縄に赴任していましたが、当時沖縄の各地でガジュマル(クワ科イチジク属)の大木をよく見かけました。ガジュマルは幹が多数分岐して繁茂し、幹や枝から細い気根を地面に向けて垂らします。そして、垂れ下がった気根は地面に着地すると新たな幹になり、何本もの幹が林立するような独特の形状に成長していきます。当時、気根を垂らしながらたくましく成長するガジュマルの木に感動を覚え、「ガジュマル精神」が大事だなどと話していたことを思い出します。

 今日買い求めたガジュマルの幹の部分です。現在3本の幹が分立していますが、細いひげのような気根が何本か垂れ下がっているのが見えます。これがやがて太い幹になっていくわけです。今まで知らなかったのですが、沖縄では幸福をもたらすキジムナーという精霊が住む木と言われることから多幸の樹の別名があるようです。ただ、私には何本ものしっかりとした幹がお互いに協力しながら1本の木を支え合う姿形から「多幸」が連想されます。


 ところで、この樹木の写真は2002年9月に種子島の宇宙センターの敷地内で撮影したものです。何本もの根が絡みついたような異様な形状に驚き、図鑑で何の木かを必死に調べました。この木はガジュマルとよく似ていますが、同じクワ科イチジク属のアコウの木でした。アコウも気根を出して成長しますが、幹と気根が一体化した状態になるので区別がつくようです。この次に沖縄を訪れる時には、是非ガジュマルの大木の写真を撮ってこようと思います。


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