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2011年3月14日 (月)

東北関東大震災(マグニチュード9.0)すさまじい被害をもたらす


 3月11日(金)午後2時46分、三陸沖を震源とした巨大地震(→ 政府資料)が発生しました。ちょうどその時、私はつくばの産総研で会合に参加していました。建物がガタガタと揺れ始めました。揺れはいつまでも収まらず、むしろ一層大きくなって、このままでは天井が落ちてくるのでは思い、思わず近くのテーブルの下に潜り込みました。これは、首都直下型の大地震がとうとうやってきたに違いないと思いました(ちなみに、このときのつくばの震度は6強)。

 しかし、外に飛び出して情報収集してみると首都直下型ではなく三陸沖のM8.8(のちにM9.0に変更)の地震で、震度7とのこと。M8.8にしても震度7にしても、今までの記憶にない超特大の地震です。一体どんな事態が進行しているのか、その時は想像もつきませんでした。

 
            (Google航空写真より作成)

 その後、テレビで高さ10メートルを超える大津波の様子が繰り返し繰り返し放映されました。巨大地震によって引き起こされた大津波が楽々と防波堤を乗り越え市街地に襲いかかります。しかも、自動車、家、貯蔵タンクそして飛行機までもが津波に流され、一緒に激流となって建物にぶつかっていきます。たまったものではありません。あっという間に町中は瓦礫の山です。高台に避難した人々は泣きながら、あるいは茫然自失の表情でその出来事を見つめています。

 私は、現実の出来事とは思えませんでした。まるで悪夢を見ているかのようでした。東北は私の地元で、愛着があります。それなのに、何万人もの実直な東北の人々が営々と築いてきた生活が一瞬のうちに崩壊してしまったのです。本当に信じがたい光景です。想像を絶する大災害です。いつもの自然はやさしい顔をしていて、私たちを癒してくれて、生きる勇気を与えてくれます。それなのに、何かの拍子に表情が一変して、無慈悲にも生きる喜び、愛する家族との語らいを奪い取ってしまいます。あらためて災害の恐ろしさを思い知らされました。

 つくばで大地震に遭遇した私たちは、その後東京方面の交通がすべてストップしていましたので、避難所に指定されたつくば駅の近くの吾妻小学校で一夜を過ごしました。避難所の生活は快適さからは程遠いものでしたが、乾パンや飲み水をいただき飢えや寒さをしのぐことが出来ました。そして小学校の職員の方々には徹夜で世話をしていただきました。緊急時とはいえなかなか出来ないことです。頭の下がる思いでした。本当に有り難うございました。


           つくば駅近くの避難所(吾妻小)

 東北の話に戻りますが、一刻も早く瓦礫を取り払い、港湾を再建し、市街地を整備し、やがてかつての美しい自然、暖かい人々の団らんが取り戻せることが出来るようにと心から願っています。

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