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2012年3月

2012年3月11日 (日)

3.11 東日本大震災から1年経ちました


 3月11日、あの想像を絶する東日本大震災の発生から1年経ち、列島各地で犠牲者追悼のイベントが執り行われました。そして午後2時46分、私もテレビの前で犠牲者への黙祷を捧げました。




       (気象庁資料)

津波が押し寄せる仙台空港(海上保安庁資料)
破壊された仙台空港(気象庁資料)
がれきと化した大船渡市(気象庁資料)

 東日本大震災では地震や津波による被害が広域に及び、2万人もの犠牲者・行方不明者が出るというすさまじいものでした。さらには、福島第一原発が巨大津波の直撃を受け、すべての電源が喪失し、広範な地域へ放射能汚染が拡散するといった深刻な事態が発生しました。

 このように巨大地震、巨大津波に原発事故が加わるといった未曾有の災害でしたので、1年たっても私たちの記憶はなかなか薄れません。最近、3.11が近づくにつれ、テレビ番組等で当時の映像が盛んに放映されていますが、普通に生活を営んでいた東北の人々が2時46分を境に、愛する家族を失い、生活基盤が一瞬にして崩壊してしまったという残酷な現実が否応なく目に入ってきます。そして、1年前の出来事が明瞭に脳裏にフラッシュバックされます。

 今朝の読売朝刊では、「時は流れない、雪のように降り積もる」と表現していましたが、まさにその通りです。被災した人たちは、1年前から時計が止まったようなつらい現実に直面しながら、何とか希望の光を見つけようと必死に生きているのです。私たちは、彼らの秒針が再び動き出すよう、しっかりと彼らに寄り添い、そして生活再建を全力で支援する必要があります。

 被災地の復興を妨げる大きな一因は、地震や津波で発生した大量の震災がれきです。この量はとても地元で処理できるものではなく、最終処分されたのは全体のわずか6%に過ぎません。それにもかかわらず、被災地外で震災がれきの広域処理を引き受けている自治体は東京都や数えるほどの市町村のみです。

 震災がれきの広域処理がどうして進まないのでしょうか。昨年夏の京都では、恒例行事の大文字焼きに被災地の陸前高田からの薪を燃やすことを拒絶するという驚くべき「事件」が起きました。また、静岡県の島田市長が震災がれきの広域処理の受け入れを表明したところ、反対派から執拗な攻撃が続いているそうです。

 いずれも放射能が安全なことを前提にしているにも関わらず、一部の人たちの身勝手な反対を続けているようです。このような情けなく心ない出来事を見聞すると、同じ日本人として恥ずかしくなります。災害は、明日は我が身です。当然のことながら被災地の苦境に対してみんなが連帯して手を差し伸べていくことが強く求められています。

    
 この日の夜は曇天でしたが、わが家のベランダからうす明るく夜空に浮かぶ東京スカイツリーが見えました。東京スカイツリーは先日竣工を終え、5月の営業開始を控えていますが、この日は東日本大震災の犠牲者を追悼するため、ライトアップされていました。
            合掌!


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2012年3月10日 (土)

伊豆の河津桜が満開


 伊豆を訪れ、満開の河津桜を楽しんできました。河津桜は静岡県賀茂郡河津町で春の早い時期に満開になる濃いピンク色の桜です 。ソメイヨシノに先立って鑑賞できるということで例年150~200万人が押し寄せる観光名所になっています。


 河津桜は、伊豆の温暖な気候と早咲きの特色を生かし毎年2月上旬頃から開花しはじめ約1ヶ月を経て満開になります。河津桜はこの地河津町に原木がありますが、オオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されています。


 このたび訪れた3月10日は、たまたま今年の満開の頃に当たり幸運でした。昨日からの雨が続いていたのですが、たまたま正午近くになって幸いにも雨が上がり、河津桜の見物が実現しました。河津川の堤防沿いに多くの桜の木が立ち並んでいます。


 河津桜の桜並木のピンク色と、堤防の斜面一面に広がる菜の花の黄色が見事にコラボしています。ピンク色と黄色の二重奏が河津桜の景観に厚みを加えています。


 堤防の上の歩道は先刻まで雨模様でしたのでそれほどでもなかったのですが、それでもこのように見物の人がゾロゾロです。


 歩道沿いには、いろんな店が出ています。この地で多く水揚げされる金目鯛の干物とか、河津桜の植木、ご当地のB級グルメの焼きそば等々、「花よりダンゴ」の楽しみもあります。


 河津桜からの帰りは天城路です。天城峠の道の駅「天城越」に立ち寄りました。この道の駅は、天城峠一帯に広がる1600haの自然林、天城の原生林を生かして、ありのままの豊かな自然を親しむ休養林の昭和の森の中にあります。初夏にはシャクナゲが一面に咲き出してきます。


 さらに天城路から、伊豆スカイラインに入り山中のドライブを楽しんできました。ただ、あいにくと天候が悪化してきたので見晴らしはイマイチでした。これは標高583メートルの多賀からの眺望です。相模湾に浮かんでいるのは初島、手前の集落は網代の町です。見通しがいいと房総半島が見えるとのことです。


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2012年3月 4日 (日)

3月の陽光の下、春の妖精(スプリング・エフェメラル)が地表に顔を出てきました

 3月の天候は「三寒四温」といわれるように、冬の寒気と春の暖気がしのぎを削り不安定なものになります。幸いひな祭り(3月3日)の週末は、久しぶりに晴天が広がり春の日差しを楽しむことが出来ました。

 春先に散策しているときの楽しみは、草むらや林地から顔をのぞかせている野の花を見つけることです。春の陽光の中で、精一杯に可憐な花を咲かせている様子を見ると、まるで春の妖精たちが草むらで遊んでいるように思えてきます。小石川植物園でもこの日、春の妖精(スプリング・エフェメラル)を見つけました。


 まばゆい黄金色を放ちながら、精一杯春の陽光の中で輝いているのはフクジュソウ(福寿草;キンポウゲ科)です。今年も忘れずに咲き出してきました。春先の日だまりに咲き強い印象を与える福寿草は、多くの句に詠まれています。
  日は一ぱい相寄りもたれ福寿草  及川貞
  福寿草家族のごとくかたまれり  福田夢汀
  地の果の日を抱きたる福寿草   稲畑汀子

 福寿草は、つかの間の春の一時期のみ地表に顔を出すスプリング・エフェメラルといわれる植物たちの仲間です。エフェメラルは「はかない」とか「つかの間の」を意味する形容詞ですので、スプリング・エフェメラルはつかの間の春の植物たちということになり、春植物とか春の妖精と呼ばれます。


 植物園にはユキワリイチゲ(雪割一華;キンポウゲ科)の群生地があります。今年も幾重にも重なった落ち葉の中から、清楚で可憐な白い花がひっそりと咲き出してきました。群生地といっても、林地の片隅にあるので、気がつかない人が多く、そのまま通り過ぎてしまいます。

 この雪割一華もスプリング・エフェメラル(春の妖精)の仲間です。スプリング・エフェメラルの植物たちは、春先に花を咲かせた後、夏までの間に光合成を行って地下の栄養貯蔵器官や種子に栄養分を蓄えます。そして、その後は春まで地中の地下茎や球根の姿で過ごすというライフサイクルを持ちます。


 スプリング・エフェメラル以外の野の花も少しずつ目立つようになってきました。これはオオイヌノフグリ(ゴマノハグサ科)です。星くずのように可憐な青い小さな花が点々と咲いていました。



 寒さのため開花が遅れていた梅の花ですが、ようやく本格的に咲き出してきました。これは寒衣(かんごろも)の名の品種の梅の花です。3月は、この満開の寒衣の花のように、色んな花が青空の満天に目一杯咲き出してきます。1年前に東日本大震災が起き多数の犠牲者出ましたが、私には満天に咲く花が鎮魂歌のように思えます。


 園内の古井戸の近くのカンザクラ(寒桜;バラ科)が5分咲になりました。早春の頃に咲くのであまり人が集まりませんが、薄ピンク色でしっとりとした美しさが青空に映えています。カンザクラはカンヒザクラとヤマザクラ系サトザクラとの雑種で早春に咲き、伊豆の河津桜に似ています。


 先月から咲き出しているシナマンサク(支那満作)です。やはり青空の背景はいいですね。 晴れ上がった春の大空の下で、シナマンサクの黄色の花が気持ちよくふわふわと遊泳しているかのようです。


 この写真は今年の正月に撮ったものですが、近所の名刹傳通院に立派な山門が建立されました。傳通院の山門は先の大戦の戦火で消失しましたが、このたび立派に復元され3月4日に開所の法要が営まれました。


 ちょうど法然上人八百年御忌、開創六百年を迎えるに当たり、その奉賛事業として山門の復興が行われたものです。ご近所にとっても慶事です。近隣の「火消し組」も開所式に協力し、ご詠歌を詠いながら山門まで行列で練り歩きました。 


 「火消し組」に続いて、稚児行列です。百人位の小さな男の子、女の子がお揃いの稚児の衣装を着て、ヨチヨチながら懸命に歩いています。かわいらしいですね。こちらも「春の妖精」のようでした。


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