3.11 東日本大震災から1年経ちました
3月11日、あの想像を絶する東日本大震災の発生から1年経ち、列島各地で犠牲者追悼のイベントが執り行われました。そして午後2時46分、私もテレビの前で犠牲者への黙祷を捧げました。


(気象庁資料)
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津波が押し寄せる仙台空港(海上保安庁資料) |
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破壊された仙台空港(気象庁資料) |
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がれきと化した大船渡市(気象庁資料) |
東日本大震災では地震や津波による被害が広域に及び、2万人もの犠牲者・行方不明者が出るというすさまじいものでした。さらには、福島第一原発が巨大津波の直撃を受け、すべての電源が喪失し、広範な地域へ放射能汚染が拡散するといった深刻な事態が発生しました。
このように巨大地震、巨大津波に原発事故が加わるといった未曾有の災害でしたので、1年たっても私たちの記憶はなかなか薄れません。最近、3.11が近づくにつれ、テレビ番組等で当時の映像が盛んに放映されていますが、普通に生活を営んでいた東北の人々が2時46分を境に、愛する家族を失い、生活基盤が一瞬にして崩壊してしまったという残酷な現実が否応なく目に入ってきます。そして、1年前の出来事が明瞭に脳裏にフラッシュバックされます。
今朝の読売朝刊では、「時は流れない、雪のように降り積もる」と表現していましたが、まさにその通りです。被災した人たちは、1年前から時計が止まったようなつらい現実に直面しながら、何とか希望の光を見つけようと必死に生きているのです。私たちは、彼らの秒針が再び動き出すよう、しっかりと彼らに寄り添い、そして生活再建を全力で支援する必要があります。
被災地の復興を妨げる大きな一因は、地震や津波で発生した大量の震災がれきです。この量はとても地元で処理できるものではなく、最終処分されたのは全体のわずか6%に過ぎません。それにもかかわらず、被災地外で震災がれきの広域処理を引き受けている自治体は東京都や数えるほどの市町村のみです。
震災がれきの広域処理がどうして進まないのでしょうか。昨年夏の京都では、恒例行事の大文字焼きに被災地の陸前高田からの薪を燃やすことを拒絶するという驚くべき「事件」が起きました。また、静岡県の島田市長が震災がれきの広域処理の受け入れを表明したところ、反対派から執拗な攻撃が続いているそうです。
いずれも放射能が安全なことを前提にしているにも関わらず、一部の人たちの身勝手な反対を続けているようです。このような情けなく心ない出来事を見聞すると、同じ日本人として恥ずかしくなります。災害は、明日は我が身です。当然のことながら被災地の苦境に対してみんなが連帯して手を差し伸べていくことが強く求められています。

この日の夜は曇天でしたが、わが家のベランダからうす明るく夜空に浮かぶ東京スカイツリーが見えました。東京スカイツリーは先日竣工を終え、5月の営業開始を控えていますが、この日は東日本大震災の犠牲者を追悼するため、ライトアップされていました。
合掌!
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