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2012年8月

2012年8月31日 (金)

初秋の風情が漂う蓼科高原・霧ヶ峰高原

 8月末、蓼科高原や霧ヶ峰高原にドライブ旅行してきました。初秋の季節感が漂う女神湖周辺や近くの霧ヶ峰高原の八島湿原を大いに楽しんできました。さらには、八ヶ岳南麓に建つ平山郁夫シルクロード美術館にも立ち寄り、平山画伯の素晴らしい作品群を堪能してきました。


 白樺やカラマツの林が美しく、四季折々の表情を持つ蓼科高原の女神湖畔に宿泊しました。ホテルからは女神湖と蓼科山が一望できました。夏休みも終わり頃でしたので、静かな落ち着いた雰囲気でした。


 ホテルからすぐ女神湖畔に出て、湖を一周する散策路を少し散歩しました。湖畔に咲くムラサキツメクサにアキアカネが一休みしていました。高原は初秋を迎えています。


 秋を彩るコスモス(キク科コスモス属)の花が女神湖周辺の車道に沿って咲いていました。華やかです。


 蓼科高原に隣接する霧ヶ峰高原は長野県の高地にあり、年間平均気温は5.8℃で北海道と同じような気温です。 そのため夏の7、8月は多くの花々が一斉に咲き、色とりどりの花を見ることができます。今回は、霧ヶ峰高原の奥にある八島湿原を訪れてきました。平地と異なるいろんな山野草を見かけました。


 湿原をザッと見回すとただの草原のようですが、よく見るといろんな初秋の山野草が咲いていました。この一角でも、キオン(黄苑;キク科キオン属)、タムラソウ(田村草;キク科タムラソウ属)、ヨツバヒヨドリ(キク科ヒヨドリバナ属)などの植物が交じって群生います。


 夏の高原を黄金色に彩るニッコウキスゲは残念ながら7月で終わりです。この時期の代表的な花はマツムシソウ(松虫草;マツムシソウ科マツムシソウ属)です。これ以外にも、フジアザミ、ハクサンフウロ、キオン、ゴマナ、クサフジ等の数多くの花々が見つかります。


 蓼科への途中、八ヶ岳南麓に建つ平山郁夫シルクロード美術館に立ち寄ってきました。この美術館は、平山画伯からシルクロード周辺国の美術品九千点あまりの寄贈を受け、2003年に発足しています。JR小海線の甲斐小泉駅に隣接しています。

   
 「私がシルクロードを歩くようになったのは,日本文化の始まりである仏教伝来の道をたどることが目的」だったという平山画伯の文化遺産のような素晴らしい作品群が展示されていて、じっくりと堪能してきました。


 美術館の庭園には秋の山野草が美しく植えられていました。秋の七草のオミナエシ(オミナエシ)やフジバカマ(藤袴)やミソハギ(禊萩)、後方には目立たないもののワレモコウ(吾亦紅)が見えます。

 今回の風景写真は、季節のスケッチ「24年8月蓼科・霧ヶ峰」としてアップしています。

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2012年8月28日 (火)

北方四島も竹島同様に不法占拠状態です


 先日、竹島問題について考察を行い、韓国による実行支配が行われている竹島が歴史的にも国際法上も明らかに日本の領土であることを確認しました。→ ブログ記事

 さて、ロシアによる実効支配が続いている北方四島の話に移ります。ソ連軍によるわが国領土の北方四島の侵犯が、ちょうど67年前の1945年の今日始まり、それ以降ソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。このように忘れべからざる日であるこの日に、この問題について改めてレビューすることは意義あることです。

 北方領土問題についても、やはり外務省のホームページに詳しく述べられています。 → 外務省北方問題ページ


            (出典:外務省HP;以下同様)

(まとめ)
 まず、北方四島とは、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島のことです。

 日本はロシアより早く、北方四島の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。

 しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の1945年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1949年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。



(国際法上の歴史的経緯)

 北方領土問題が発生するまでの国際法上の歴史的経緯は次のとおりです。

(1)日魯通好条約(1855年)

 日本は、ロシアに先んじて北方領土を発見・調査し、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立しました。19世紀前半には、ロシア側も自国領土の南限をウルップ島(択捉島のすぐ北にある島)と認識していました。日露両国は、1855年、日魯通好条約において、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。

  

(2)樺太千島交換条約(1875年)

 日本は、樺太千島交換条約により、千島列島(=この条約で列挙されたシュムシュ島(千島列島最北の島)からウルップ島までの18島)をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。


  

(3)ポーツマス条約(1905年)

 日露戦争後のポーツマス条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けました。


  

(4)サンフランシスコ平和条約(1951年9月)

 日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。


  

 以上の流れから分かるように、国際法上は北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)がわが国に帰属することは明々白々です。

 ところが、 第二次大戦終戦後の1945年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。さらにソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1949年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いている訳です。

 北方四島と竹島のいずれについても同様ですが、国際法上の歴史的検証を行い、いくらわが国の主張が正しくとも、他国の実力行使により不法な実効支配が続いている「不正義」な状況を覆すことは極めて困難です。まさに敗戦国の悲哀です。

 私たちは、この不正義な真実を風化させることなく一人一人が胸に刻み、強い国力を背景とした外交的手段により国際正義の実現を目指す息の長い取組が肝要です。


(参考)

外務省の竹島問題ページ@外務省HP
内閣府「北方対策本部」HP

Wikipedia 「北方領土問題」

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2012年8月26日 (日)

今年もわが家にサギソウが咲きました


  8月も下旬になりましたが、東京ではいっこうに猛暑が納まらず、このところ雨らしい雨が降っていません。一方、南の沖縄では、最大瞬間風速が70メートルを超える過去最強の勢力の台風15号が襲来しています。今年は相当厳しい夏の気候といえようかと思います。

  東京の猛暑の中、わが家のベランダでは昨年に引き続き白く美しい花姿のサギソウ(鷺草)が咲き出し、ちょっとした清涼感を与えてくれます。 


 サギソウはラン科の山野草で、花の形が白鷺が羽を広げている姿によく似ていて、まさに造形の美と言えます。このサギソウは、家内が昨年5月に数本の草が生えているだけの小さな鉢植えを購入してきたもので、昨年の8月に見事に開花してくれました。ただ、年を越えて翌年にまた咲かせるには、それなりの手入れが必要といわれています。私には、本格的な手入れは無理でしたが、サギソウが湿地を好むと聞いていましたので、たっぷりとした水やりだけは欠かさなかったのが良かったと思います。2年目も咲いてくれて大感激です。
 
 次に近隣の小石川植物園の様子を紹介します。長引く猛暑に植物たちもゲンナリしているような気がしますが、その中で夏に強い花木やつる性植物などの元気さが目立ちました。


 猛暑をもたらす夏の青空が広がっています。例年は、園内の旧東京医学校の前のサルスベリの大樹が真っ赤な花で覆われているのですが、今年は様相が変わっています。樹木の半分は枯れているようであり、残りの半分も花を殆ど付けていません。暑さのせいか、それとも寿命なのかよく分かりません。



 園内の別の場所では見事にサルスベリ(ミソハギ科サルスベリ属)の花がたわわに咲いていました。百日紅の別名のとおり、炎天下の夏空にずっと咲き続け、この季節の代表的な花木です。花をよく見ると、ふわふわと縮れているのが特徴的。花の色は赤、ピンク、白などが目立ちます。


 やはり夏の花木のキョウチクトウ(夾竹桃;キョウチクトウ科キョウチクトウ属)です。7月初旬くらいから咲き始めましたが、夏の暑さにに強く、まだ元気に咲き続けています。全身が有毒だからでしょうか、最近ではあまり見かけなくなっています。


 青空の下、キクイモ(菊芋;キク科ヒマワリ属)の鮮やかな黄色の花が静かに風にたなびいていました。地中に塊茎ができ、菊の花と似ていることからこの名が由来。塊茎はデンプン類を含まないものの食用になります。


 林の中の涼しい所に、橙色のキツネノカミソリ(狐の剃刀;ヒガンバナ科ヒガンバナ属)の花を見つけました。9月に咲き出すヒガンバナ(彼岸花)の近縁種ですが、お盆の頃に咲き出します。面白い名前ですが、春先の伸びた葉をキツネの剃刀にたとえて、この名が付いたようです。


 同じように彼岸花の近縁種のナツズイセン(夏水仙;ヒガンバナ科ヒガンバナ属)の淡桃色の花が、上記のキツネノカミソリの近いところに群生していました。秋から春に出てくる葉が水仙の葉と似ています。この時期は葉を付けないことから、裸百合とも呼ばれる。


 この時期、園内の至る所にオオハンゴンソウ(大反魂草;キク科オオハンゴンソウ属)が群生しています。北アメリカ原産の帰化植物で、現在ではわが国の各地で野生化している。花屋で売られているルドベキアは、オオハンゴンソウの園芸種。


 つる性植物のセンニンソウ(仙人草;キンポウゲ科センニンソウ属)も繁殖力が旺盛で、ツツジの植え込みなど覆い白い花を咲かせています。多数のふわふわとした白色の花がむらがって咲き、長い葉柄があって他の植物によく絡みついます。葉の先に生えている白い毛を仙人のヒゲや白髪に見立てたところからこの名がついたとのこと。センニンソウには毒があり、茎や葉の汁がつくとかぶれるので要注意。


 同じくつる性植物のヘクソカズラ(屁糞葛;アカネ科ヘクソカズラ属)も、他の植物に絡んでいます。小さな花自体はかわいらしいのですが、名前がどうもいただけません。葉や茎に悪臭があることから名が由来とのこと。近くから写真を撮ったのですが、そのような臭いには全然気づきませんでした。


 メタセコイア林の地表を、小さなフキの葉のような植物が覆っていました。今まで気にもかけず通り過ぎていて、この日初めて気が付きました。調べてみたら、この植物は常緑多年草のチドメグサ(血止草;ウコギ科チドメグサ属)でした。この葉の汁を傷口に付けると血が止まることからこの名が付いています。

    …> 季節のスケッチ(24年8月)

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2012年8月22日 (水)

竹島は歴史的にも国際法上も明らかに日本の領土!


 8月後半に入っても連日猛暑が続いています。猛暑の夏をさらに熱くしていたロンドン五輪が終わってヤレヤレと思っていたところ、今度は竹島への韓国李明博大統領の上陸(8/10)、尖閣諸島への香港の活動家の上陸(8/15)といったわが国への「領土侵犯」が相次ぎ、新たな熱い問題が連日マスコミを賑わしています。先月はロシアのメドベージェフ首相の国後島上陸(7/3)もあったわけで、わが国の領土に対する隣国のけん制が相次いでいます。各国の国内事情に加えて日本の不安定な政治状況や外交力の欠如などをその要因として挙げられています。早期に外交にも内政にも強いしっかりとした安定政権の確立が望まれます。

 私たちも、感情に流されることなく、まず事実関係から整理して冷静な議論を進めることが大事です。そこで、今まで一番なじみが薄かった竹島問題を調べてみることにしました。取っかかりとして外務省HPの竹島ページがよくまとまっています。


        (外務省公式パンフレットより)


         (外務省公式パンフレットより)

まず、地理的状況は次の通り。

■隠岐諸島の北西約157 キロメートルの日本海上に位置するする群島。島根県隠岐の島町に属する。
■東島(女島)、西島(男島)の2 つの小島とその周辺の数十の岩礁からなり、総面積は約0.21平方キロメートル(日比谷公園とほぼ同面積)。
■各島は、海面からそびえ立つ急峻な火山島であり周囲は断崖絶壁をなす。また、植生や飲料水に乏しい。

次に、竹島が歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土である根拠を列挙しています。

■日本は古くから竹島の存在を認識していた。
■日本は、鬱陵島(うつりょうとう;現在は韓国領)に渡る船が漁採地などとして竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立した。
■日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止したが、竹島への渡航は禁止しなかった。
■日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認した。
■サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領土に竹島を含めるよう要請したが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否した。
■竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、日本の領土として扱われていたことは明らか。

これに対して、韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立する以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

■韓国が古くから竹島を認識していたという根拠がない。
■韓国が自国の主張の根拠として用いている安龍福(アン・ヨンボク)の供述には、多くの疑問点がある。

韓国は1952年に、いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、そのライン内に竹島を取り込み、それ以降韓国による不法占拠状態が続いている訳です。

 いわば聞き分けのない子どもが人のものを手に握って、いくら返せと言われても、自分のものだと言い張って駄々をこねている、といった状況に似ています。子どもの話であれば他愛のないこととして笑って済ませることが出来ますが、領土の話となれば大変なことです。

 韓国にも見識ある国民が大勢おられると思います。竹島が、歴史上かつ国際法上どちらに帰属するのか冷静に論点を整理して、謙虚に議論してもらいたいと思います。


【参考サイト】

外務省の竹島問題ページ
竹島問題を理解するための10のポイント(外務省公式パンフ)
Wikipedia の記事「竹島」
YouTube 【竹島問題】韓国が主張する独島論を検証
正統史観年表「竹島が日本の領土である根拠」


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2012年8月19日 (日)

ゆったりとした山形での夏休み:最上川、夏祭り……


 旧盆を含む1週間、墓参りを兼ねて郷里の山形で夏休みを過ごしてきました。山形といえども残暑が厳しく、日中は30度を超える暑さでしたが、さすがにお盆を過ぎると朝夕がしのぎやすくなります。孫たちも一緒でしたので、その世話が大変でしたが、それでも田舎の空気を吸い、田舎食を食べたり、さらには恒例の夏祭りに興じたりしてじっくりと骨休みが出来ました。また、空いた時間には県内を縦走する最上川の眺望スポットを訪れてきました。


 かつて松尾芭蕉は奥の細道の旅程で、ここ新庄市本合海の地から乗船して最上川で庄内へ下ったとされています。芭蕉と曽良の像と歌碑が建てられています。芭蕉は最上川を題材にして以下の2句を詠っています。
 ●五月雨をあつめて早し最上川
 ●暑き日を海にいれたり最上川

 また、斎藤茂吉が詠んだ次の短歌も有名です。
 ●最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも


 山形県内を縦走する大河の最上川には多くの眺望スポットがあります。この眺望は新庄市本合海付近のもの。最上川は福島との県境に近い吾妻山から発し置賜地方、山形盆地、最上地方、庄内平野を縦走して日本海に注ぎます。かつては舟運の幹線として利用され、内陸部の紅花や米が、酒田を経て主に上方に運ばれました。

 
東根小の校庭(旧小田島城趾)に日本一の大ケヤキがそびえています。樹齢1500年以上。手前の子どもと比べると、その大きさが実感できます。この大ケヤキに育まれるこの辺の子どもたちは、「ケヤキっこ」と呼ばれています。




 夏のお盆の時期には地域ごとに工夫を凝らした夏祭りが開かれます。郷里の東根市では、地元の花笠踊りをはじめ、チアガール、フラダンス、ヨサコイ風のダンスなど、暑い夏の夜、皆さん思い思いに踊りまくっていました。


 東根は四方が山に囲まれていて、東の奥羽山地から日が昇り、西の出羽三山の山々に日が沈みます。この日はちょうど夏スキーで有名な月山の辺りに夕陽が沈んでいきました。


 東根はサクランボ生産が有名ですが、リンゴの産地でもあります。今はまだ青リンゴにうっすらと赤みが差している状態ですが、秋が深くなると真っ赤な美味しいフジ林檎に仕上がります。

 この他にも、いろんな写真があります。
   …> 季節のスケッチ (24年8月)


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2012年8月 5日 (日)

炎天下の小石川植物園には、戦争の歴史を秘める占守鋸草ほか


 8月5日(日)、蓮の花咲く早朝の上野不忍池に引き続いて、小石川植物園も訪れてきました。開園直後でしたが、猛烈な暑さには参りましたが、北方領土の歴史を秘める占守鋸草をはじめ夏の花々が炎天下でも暑さにめげず咲いていました。


 この日、上野不忍池から帰ったあと小石川植物園を訪れてきました。9時半頃には入園したのですが、炎天の夏の陽射しが厳しく、出来るだけ木陰を歩くようにして園内を回ってきました。それでも草むらからもむっとした熱気が立ち上り、相当に大変でしたので早足で駆け回って1時間ほどの短時間の散策になりました。

 入園してすぐの所にメタセコイア林があります。メタセコイアはスクッと天に向かう樹姿が見える冬木立が見事ですが、この時期にはうっそうと木の葉が生い茂り、深緑の衣に覆われた夏木立に変貌しています。


 植物園の薬草園の片隅にひっそりとシュムシュノコギリソウ(占守鋸草;キク科ノコギリソウ科)の花が咲いていました。この花は千島の北東端にある占守島で発見され、国内では利尻島、礼文島、北海道北部の山地に分布しています。

 占守島は千島列島の最北端に位置する島で当時日本に帰属していました。ところが、日本がポツダム宣言受諾し終戦を迎えた後になって、ソ連軍が火事場泥棒的に突然占守島に上陸して侵略を開始ししたのです。その後、千島列島一体を不法に占拠し現在に至っており、この占守島の戦いは北方領土問題の原点になります。

 ちょうど、この時期に占守島に咲く占守鋸草は、ソ連軍の侵略行為を目の当たりに見ていたわけで、北方領土の歴史を秘める花とも言えます。(→ 占守鋸草:戦争の忘れざるべき歴史を秘めた花



 植物園の池の辺に、細かな白い花で覆われた大樹を見かけました。中国原産の落葉高木エンジュ(槐;マメ科エンジュ属)です。枝先の円錐状の花序に白い蝶形花が多数付き、蜜蜂などがよく集まってきます。花や蕾にはルチンを多く含有し、蕾を乾燥させたものは、槐花という生薬で止血作用があります。街路樹や庭木などに多く用いられています。


 関東以西に分布する落葉低木ハマボウ(浜朴;アオイ科フヨウ属)の黄色の花です。花芯の濃いエンジ色がアクセントになっています。海岸沿いや河口付近の干潟の陸側や湿地帯に生育し、潮間帯での植生がマングローブに類似することから、半マングローブ植物と呼ばれることもあります。


 北米原産の宿根草モミジアオイ(アオイ科フヨウ属、別名:紅蜀葵)の大きな赤い花です。冬は地上部が枯れて根の状態で越し、毎年花を咲かせます。フヨウ、ハイビスカス、ハマボウなどと同じようにアオイ科フヨウ属に属しますが、木本ではなく草本になります。葉がモミジに似ていることからこの名が由来。


 北米原産の多年草シカクヒマワリ(四角向日葵;キク科テトラゴノテカ属)の黄色の花です。背が高いシカクヒマワリは小さくて華奢な花を多く咲かせ、後方の木々とうまく調和した風景になっています。面白い名前ですが、茎の断面が四角なことからこの名前が付いたとのこと。


 中国原産のフサフジウツギ(房藤空木;ゴマノハグサ科フサフジウツギ属)です。花が美しいので園芸用に栽培されます。淡紫色の房状の花穂に沢山の小さな花が付いています。蜜が多いのでよく蝶が集まります。


 湿地に生える大型の多年草ミズカンナ(水カンナ;クズウコン科ミズカンナ属)が、園内の池に群生しています。背丈は1~2mになります。青々とした大きな葉の間に目立ちにくいのですが、よく見ると小さな紫色と白色が交じった花を付けています。水生植物であることと、葉がカンナに似ていることからこの名が付いたとのこと。

    …> 季節のスケッチ(24年8月)

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立秋間近でも猛暑が続く中、美しい容姿の蓮の花が早朝に咲き出します


 立秋(8/7)が目前ですが、依然として猛暑が続いています。8月に入ってすぐの週末もまさに熱波の中という感じでした。それでも、蓮の花を見ようと8/5(日)早朝に上野不忍池に出かけ、その足で開園直後の小石川植物園も訪れてきました。



 ハス(蓮;スイレン科ハス属)の花は例年7月中旬から8月上旬までが見頃と言われていますので、この 8/5はギリギリかなと思いつつ上野公園内の不忍池に出かけました。しかも、この花は東の空が白む早朝に開花し、午後には閉じてしまいますので、ロンドン五輪観戦でまだ眠い目をこすりながら早起きして駆けつけました。不忍池の中に建つ弁天堂の周りに蓮池が広がっています。この辺りに近づいてみると、すでに何人ものカメラマンが集まっていました。今年も美しい容姿の蓮の花に出会えて安堵し、そして感激しました。

 インド、中国、日本などに分布する蓮は、大きな楯型の葉と天を向いて咲く大きな美しい花が幻想的な美しさを醸し出します。仏教では極楽浄土を象徴する花として「蓮華」ともいわれています。また、蓮の地下茎は蓮根(レンコン)といい、食材に供されます。

 なお、蓮の果実の皮はとても厚く、土の中で発芽能力を長い間保持することができます。1951年、東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘され発芽させることに成功した大賀ハス、中尊寺の金色堂須弥壇から発見され800年ぶりに発芽に成功した中尊寺ハス、埼玉県行田市のゴミ焼却場建設予定地から約1400年から3000年前のものが発芽した行田ハスなどが、いわゆる「古代蓮」と呼ばれています。生命力の強さには驚くばかりです。古代蓮の花もいずれこの目で見てみたいと思っています。


 不忍池には、多くの小動物も生息しています。カモ、水鳥、サギ、などの渡り鳥・留鳥あわせて数十種類の鳥類が見られます。カメもよく見かけます。

 この後訪れた小石川植物園の様子は次の記事で。

    …> 季節のスケッチ(24年8月)

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2012年8月 1日 (水)

連日の猛暑と熱戦のロンドン五輪でアツイアツイ8月に入りました


 いよいよ8月に入りました。立秋が近いとは言え、まだまだ真夏の天候が続いています。特に今年の8月は、高温注意報が続く猛暑と熱戦が続くロンドン五輪が相まってアツイアツイ日々になりそうです。一方、植物の世界では、夏の花々が咲き、夏木立の緑が一層濃く深くなります。


連日の猛暑

        (日本気象協会 tenki.jp より)

 東京地方(関東甲信越)の梅雨明けは7月17日でしたが、その後各地で連日の猛暑が続いています。全国でここ1週間、熱中症で病院に運び込まれた人は約8600人、亡くなった方は約70人とのこと。上図は気象庁アメダスの気温分布図(7月31日午後3時)ですが、各地が30度以上で一面真っ赤です。まさにすさまじい酷暑列島という感じです。

 現在、台風10号が九州に接近中です。もちろん台風被害には警戒する必要がありますが、これで暑さを吹き飛ばしてくれるといいのですが。


熱戦のロンドン五輪

          (NHKテレビ放送から撮影)

 一方、7月25日からロンドン五輪が始まり、連日熱戦が続いています。ロンドンと東京の時差は8時間ですので、サッカーとか柔道の試合の観戦はクーラーをつけながらの夜間になります。実況放送ですので、最後まで結果を見ようとしてどうしても夜更かしをしてしまいます。寝不足と翌日の猛暑で体が参ってしまいます。

 五輪競技の方は日本選手が健闘しています。獲得メダル数は大会5日目までで13個(金1、銀4、銅8)と、中国、アメリカに次いで3位です。五輪が始まるまではあまり関心がなかったのですが、いざ開幕するとたちまちテレビ画面に釘付けになり、熱い活躍の日本選手を応援してしまいます。閉幕する8月15日まで寝不足が続きそうですので体調管理に気をつける必要があります。


季節のスケッチ:8月セレクション
 

 上図は小石川植物園の8月の風景です。植物の世界では、夏の花々が咲き、夏木立の緑が一層濃く深くなります。8月の夏の花木では、何といってもサルスベリが代表格です。強い日差しの中で深紅の花が青空に鮮やかに映えます。百日紅とも呼ばれるように花期が長いので、存分に夏の花を楽しむことができます。

 ところで、この時期の植物園の散策ですが、早朝の時間帯に限ります。かつてお昼近くの散策になってしまったことがありましたが、地面からの熱気で気分が悪くなり、薬草園のところまで行って途中断念を余儀なくされてしました。今考えてみれば、軽い熱中症だったのかも知れません。

 暑さはしばらく続きますが、早い時間帯で何回か植物園を訪れるつもりです。

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