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2013年8月18日 (日)

夏の会津、鶴ヶ城や野口英世記念館を訪問

 今年のお盆は、郷里で墓参りをした後、NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台となった会津を訪れてきました。盛り上がっている時期は、地元にも活気があっていいものです。

 あいにくの猛暑にもめげず、会津若松では中心部にそびえ立つ鶴ヶ城や白虎隊士が眠る飯盛山を巡り、動乱の幕末の頃に思いを馳せてきました。さらに、猪苗代まで少し足を伸ばして医学分野で数々の偉大な業績を残した野口英世博士の生家を見学してきました。





 まずは、会津鶴ヶ城(別名若松城)です。慶応4年/明治元年(1868年)の戊辰戦争で、薩摩藩・長州藩を中心とする明治新政府軍に抗して会津藩がこの城に立てこもり、約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えたのですが、白虎隊の死があり、娘子軍、老若男女を問わず、会津藩士達とともに孤立無援の状態で、絶望的な戦いだったと言われます。

 鶴ヶ城は明治7年に取り壊されましたが、その後昭和40年に再建されました。天守閣の内部は郷土博物館となっており会津の歴史に触れることができるようになっています。平成23年には赤瓦へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣となっています。



 鶴ヶ城に隣接した県立博物館の敷地で、八重と会津博大河ドラマ館がオープンしていました。ここでは、八重の不屈の精神が育まれた背景を解説する展示コーナーや体験ゾーンがあって、NHKドラマの世界観をよりリアルに感じることができます。

 開城の前夜、八重が蔵の壁に刻んだ思いの歌も展示されていました。『あすの夜は 何国の誰かながむらむ なれし御城に 残す月かげ』



 戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎隊士20人が飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しましたということです。

 飯盛山の登山口は土産物店が立ち並んでいます。ここから階段やエスカレータを用いて白虎隊士が眠る墓所まで登っていきます。

 墓所に到着するともうもうと線香の煙が立ちこめていました。春と秋の年2回、ここで慰霊祭が執り行われ、白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞が奉納されるとのことです。




 最後に猪苗代まで足を伸ばして、医学分野で偉大な足跡を残した野口英世博士の生家を訪れてきました。

 彼は1876年、猪苗代に生まれ、幼名は清作といいます。猪苗代高等小学校卒業、済生学舎修了後、ペンシルベニア大学医学部を経て、ロックフェラー医学研究所研究員となりました。細菌学の研究に主に従事し、黄熱病や梅毒等の研究で知られる。ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年アフリカのガーナにて51歳で死去しました。

 野口英世博士のことは、昔から教科書や伝記などで、世界の医学のために貢献した偉大な科学者として紹介されていて、私も子供の頃、素晴らしい日本人がいたんだと誇らしく思ったことを思い出します。現在、2004年より発行されている日本銀行券の千円札の肖像になっています。

 この生家は現在野口英世記念館として保存されていますが、ここから磐梯山がくっきりと見えます。悠然とそびえる磐梯山の懐に抱かれ、広大な猪苗代湖に面する大自然の中で、清作少年が育まれたわけです。本当にいい所を訪れてきました。


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