関西・古都

2011年5月11日 (水)

紀州の旅Ⅱ 将軍吉宗のふるさと和歌山城


 紀州の旅の続きです。高野山観光の翌日は徳川幕府中興の祖として名高い将軍吉宗が生まれ育った和歌山城を訪れました。もっとも、夕方になってしまい時間があまりなかったので駆け足の観光になりました。

 元々和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。その後、元和5年(1619)には徳川家康の第10子・頼宣が入城、紀州55万5千石の城となり、以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻んできました。


 鮮やかな緑が茂る虎伏山に白亜の天守閣がそびえています。徳川御三家の威容にふさわしい風格があります。時間が遅かったため、この天守閣に上ることが出来なかったのは残念でした。和歌山城の石垣は、紀州特産の青石(緑泥片岩)が多く使われいます。そして所々に神社の灯籠の土台のようなものも使われています。城下の寺社仏閣からも石垣の素材をかき集めたことが分かります。


 和歌山城の天守閣から見下ろす所に西の丸庭園があります。紅葉渓庭園といわれていますが、この季節は美しい緑に覆われすばらしい景観でした。この庭園は、紀州徳川家初代藩主頼宣が築造したもので,起伏の変化に富み破墨山水的景観は江戸時代初期に作庭された城郭庭園屈指の名園です



 城を上っていく途中に七福の庭があります。七福神の姿に似た名石を巧みに置いて、全体が宝船に乗っているように仕立てものです。左から福禄寿、大黒天、毘沙門天(真ん中でスクッと立っている)、布袋、寿老人、弁財天、恵比寿の順に並んでいます、そのつもりで見てみると、よく似ています。これも頼宣の命によって作られたもの。


 和歌山城の高台からから四方が見渡せます。これは西の方角の風景ですが、海岸沿いに住友金属の和歌山製鉄所が見えます。この製鉄所は、世界各地で使用されている石油掘削・天然ガス開発用継目無鋼管(シームレス鋼管)や、ハイブリッドカー向けの電磁鋼板など、高付加価値製品を製造している銑鋼一貫製鉄所です。

 今回の紀州の旅(高野山&和歌山城)は、短い合間の時間の中での観光でしたが、それでも来て良かったと思いました。次回はもっとじっくりと回って見たいと思います。

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2011年5月10日 (火)

紀州の旅Ⅰ 弘法大師が開いた聖地高野山を訪ねる


 連休の後半、所用があって紀州和歌山を訪ねてきました。紀州では開創1200年を迎える聖地高野山と、徳川8代将軍吉宗が生まれ育った和歌山城を観光してきました。

 初日は高野山観光です。高野山は、弘法大師が弘仁7年(816年)この地に真言密教の根本道場をたてることにしたことから歴史が始まった聖地で、現在では多くの人が高野山詣でにやってきます。来る平成27年には、悠久の星霜を経て高野山開創1200年に相当するとのことです。

 大師が生まれた四国地方には大師が開いたとされる八十八の霊場があって、「同行二人」(大師とともにの意)の白装束を身につけての八十八カ所の霊場巡りは有名ですが、霊場巡りを終えた後は最後に高野山に詣でることになっています。このようなこともあって高野山は参拝客が絶えません。


 高野山は和歌山市から東方に位置する紀伊山地の山中にあって、電車やケーブルカーを乗り継いで2時間半かかります。和歌山(JR)→橋本(南海電車;写真)→極楽橋(南海ケーブルカー)→高野山の行程で標高約1000メートルの山中に到着します。長時間の旅になりますが、途中橋本からは登山鉄道のようなものになり、車窓からの眺めが素晴らしく退屈しません。山の斜面には所々に紫色のヤマフジや薄ピンク色のヤマザクラが咲いていました。また、線路沿いにはシャガやオオアマナなどの野草も随所に見かけました。極楽橋からのケーブルカーはわずか5分乗っているだけですが、急斜面を上っていき、迫力があります。外を見回すと、真っ黄色の山吹の花や、フキノトウがそのまま伸びた蕗の花などを見かけました。


 高野山の駅に到着すると、さすがに標高が高いだけあって空気がヒンヤリして肌寒い感じです。高野山には多くの寺院が建立されていますが、時間の制約もあって今回は中心となっている金剛峯寺のみを訪ねました。寺の境内に入るとき、最初にこの正門と通ります。金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されたとのこと。昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけだったそうです。


 囲いがされた入り口が見えますが、ここは金剛峯寺の表玄関にあたるところで大玄関といいます。ここも正門と同じように天皇・皇族や高野山重職だけが出入りしていたとのこと。この奥には、重要な儀式・法要が執り行われる大広間や本尊に大師を奉安する持仏間などあり、また由緒ある襖絵も揃っています。右側から寺院内を拝観できるようになっています。


 拝観コースを回っていくと立派な石庭がありました。蟠龍庭(ばんりゅうてい)といい、奥殿に広がる500坪ほどのわが国最大の石庭です。大師の生まれた四国から運ばれた青い花崗岩が雄龍と雌龍の2体を表していて、また京都の白川砂が敷き詰められて、全体が青海波大雲海を画いているそうです。


 高野山では、奥の院の参道をはじめ高野杉の高木が林立していて山の霊気を高めています。金剛峯寺の中で奥の院霊木として直径2メートルもの輪切りの幹が展示されていました。弘法大師のライバルだった最長が建立した比叡山延暦寺でも杉の高木が林立していたのを思い出しました。

 高野山は、金剛峯寺以外にも、大門、奥の院、壇上伽藍、大塔など数多くの見どころがあり、何回かに分けて訪れる必要がありそうです。

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2010年10月25日 (月)

古都を巡る旅(京都・奈良)


 先日、夫婦で古都の京都や奈良を巡る旅に出かけてきました。本当は11月の紅葉の季節に訪れたかったのですが、今回は青葉残る10月の時期の観光になりました。それでも、金閣寺、法隆寺など歴史的な建造物を前に、日本文化の素晴らしさに感動し、しみじみと日本の心を実感することが出来、本当にいい旅でした。


 初日から観光バスで名刹、名勝地を巡ってきました。京都では、金閣寺舎利殿が周りの庭園と見事に調和して金色に輝きながら建っていました。静寂な池面には逆さになって舎利殿が映っています。中学の修学旅行で訪れて以来ですから、約50年ぶりの再訪になります。こんなにも美しかったのかと素直に感動しました。金閣寺の舎利殿は、漆塗りに金箔を張った建物で、足利義満が造営した北山山荘の建造物です。1950年の失火で全焼しましたが、その後ほぼ焼失前の状態に再建されました。
 

 平安神宮はちょうど年に一度の時代祭の日に当たっていました。訪れたのが午前中でしたのでまだ静かでしたが、正午になると京都御所建礼門前を行列が出発し、烏丸通、御池通、河原町通、三条通から平安神宮まで4.5キロ間に一大時代絵巻を展開します。この平安神宮は1895年(明治28年)に、平安遷都1100年を記念して創建されたものです。


 翌日は奈良の斑鳩の地まで足を伸ばし、法隆寺を見学してきました。法隆寺は、広大な敷地の中で飛鳥時代の姿を現在に伝える寺院です。金堂、五重塔をはじめ現存する木造建築では世界最古といわれる建造物がいらかを並べていて、世界文化遺産の指定を受けています。この地に最初の法隆寺が建立されたのは607年のことで、推古天皇と聖徳太子が建築を進めたとされています。しかしその後、火災で焼失し、現在の法隆寺は672年から689年にかけて再建を始めたものとされています。


 3日目は、比叡山ドライブウェイを上って山中に建つ延暦寺観光です。ドライブウェイの途中からは琵琶湖や京都市内が眺望でき、ドライブだけでも満足できます。平安時代に最澄が開創した延暦寺は、杉林の高木が林立する山中に分布する三塔十六谷の堂塔の総称です。その延暦寺の中心的な建物が、国宝にも指定されているこの根本中堂になります。比叡山の山上から東麓にかけた境内に点在する東塔の一角に位置します。延暦寺は浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮などの数々の名僧を輩出し、日本仏教の母山とも言われています。


 延暦寺の次は、奥比叡山ドライブウェイを抜けて進み京都大原の里にある三千院を訪ねてきました。三千院は天台宗の寺院で、本尊は薬師如来、開基は最澄です。本尊などの像は国宝に指定され、この往生極楽院に置かれています。
 三千院は庭園が見事で、紅葉の名所としてはもちろん、新緑、石楠花、紫陽花、秋海棠など時期折々の花鳥風月を鑑賞できる名園でもあります。また地面は青々とした苔で一面覆われていて、木々の緑と一体化し自然の美しさを際立ったものにしています。

 これ以外にもいろんな名勝地を回ってきましたが、いずれも長い古都の歴史に裏打ちされた日本文化を体現したものでした。これから何度でも訪れたい地です。

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