随想・徒然

2013年2月16日 (土)

ロシアのウラル地方に隕石が落下


 15日、ロシアのウラル地方に隕石が落下し、多数の負傷者が出て、建物や自動車などに広く被害が出ているとのニュースが入りました。まるでSF世界の出来事のように錯覚してしてしまいますが、現実の話で本当に驚いてしまいます。

 
            (YouTube映像より)

隕石の落下・爆発

 ロシア主要メディアによると、ロシアのチェリャビンスク州付近で15日午前9時20分(日本時間午後0時20分)ごろ、隕石が上空で爆発し、破片が地上に落下し、負傷者は約千人に達したとのこと。被害の全容はなお不明ですが、隕石落下でこれだけ多数の負傷者が出るのは世界的に極めて珍しいそうです。

 国営テレビ「ロシア24」は、同州の上空で物体が閃光(せんこう)を放って爆発し、大きな煙の尾を引きながら落下していくもようを放映した。非常事態省によると、隕石は中央アジア・カザフスタンの上空から露ウラル地方に向けて落下していったとみられます。爆発の模様や航跡は、チェリャビンスクから数百キロ離れた場所でも目撃されたという。

 NASAの発表によれば、大気圏に突入した小惑星(隕石)は直径がおよそ17メートル、重さがおよそ1万トン、上空20キロ前後のところで爆発したとみられるということです。

 爆発の威力は、広島型の原爆の30倍以上に相当するおよそ500キロトンで、その爆風と衝撃波によって地上の建物の窓が割れたり扉が吹き飛ばされたりといった被害につながったとみられています。また、この小惑星は火星と木星の間にある無数の小惑星がある領域、いわゆる「小惑星帯」にあったとみられています。

小惑星「2012DA14」の接近

 奇しくも、ロシアへの隕石落下の約1日後、地球に近づいていた直径45メートル、重さ推定13万トンの小惑星「2012DA14」が日本時間16日午前4時25分ごろ、地球に最接近し、静止衛星よりも近い上空2万7700キロを通り過ぎていきました。これほどの大きさとしては、観測史上最も近づいた小惑星として注目されていました。

 ロシアへの隕石落下と小惑星の地球接近が時間的にあまりにも接近しかつ連続していることから、ロシアへ落下した隕石が、地球に接近しつつあったこの小惑星「2012DA14」のカケラだったとも考えられます。NASAの専門家は全くの偶然で無関係としていますが、本当にそうなのでしょうか。

過去の地球への隕石飛来

 地球には、毎日何十個もの隕石が落ちていますが、たいていは小さいので流れ星となって地上に到達するまでに燃え尽きてしまい、私たちの日常生活に影響を与えることはありません。

 しかしながら、隕石の大きさによっては地球生命体に甚大な影響を及ぼす大災害となってしまいます。1908年のツングースカ大爆発、1947年のシホテアリニ大爆発などは隕石災害の有名な事例です。

ツングースカ大爆発
 1908年6月30日、直径100mほどの隕石が地球の大気圏に突入、シベリアのツングース上空で大爆発が起こりました。

 このときは、 強烈な空振が発生し、半径約30キロメートルにわたって森林が炎上し、大都市圏が一気に消滅するほどのすさまじい威力の大爆発だったそうです。爆心地から600km離れた地点でも、ボートに乗った人が川に投げ出されたり、馬が衝撃波で倒れたり、シベリア鉄道が緊急停止した、あるいは遠く離れたロンドンやパリでは夜間に灯りなしで新聞を読むことができるほどの発光現象が起こったと報告されていて、爆発の凄まじさを物語っています。

 このとき地球に落下した隕石は3.3年の周期で太陽の回りを公転しているエンケ彗星のかけらではないかという説が有力です。

シホテアリニ大爆発
 1947年2月12日、ソビエト連邦(ロシア)のウラジオストクの北東に位置するシホテアリニ山脈山中の上空で、隕石の落下に伴う天体爆発が起こりました。当時の大事件となり、記念切手にもなっています。

 シホテアリニ山脈の近隣の住人たちは、太陽よりも明るい火の玉が北の青空の41度の高さに輝き、物凄い爆音が轟くのを聞いた。その光と爆発音は半径300kmにわたって観測され、その後多くの火の玉が飛行機雲のような航跡を無数に空に残して地上に降ってきたそうです。空中で爆発したため、その当時の人々は世界の終りかと思うほど驚いたそうです。

 爆発の中心地では、隕石の破片から幾つものクレーターが作られているのが発見されていて、最大のクレーターは直径20m、深さ6mという巨大な大きさです。

恐竜を絶滅に追いやった小惑星バプティスティナの地球衝突

 かつて地球を席巻した恐竜が絶滅に追いやられた有力な原因とし、小惑星の地球衝突説が挙げられています。すなわち、約6550万年前の白亜紀末、小惑星バプティスティナによる直径10キロほどの大隕石が、メキシコのユカタン半島近くに衝突しました。この衝突で巻き上げられた大量のチリが太陽光を遮り、その後長期にわたった冬の季節に植物が枯れ、草食恐竜が死に絶え、肉食恐竜も絶滅していったという仮説が有力です。

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 科学が進んだ現在でも、天空から飛来する隕石の予測は難しいとされています。しかし、ひとたび大隕石が地球に衝突したときの影響は甚大なもので、人類を含む生命体の生存にも大きく関わってきます。古来人々が天を畏れ、天文の研究がすすんだのも、この辺りに理由があるのかも知れません。


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2012年4月14日 (土)

「季節のスケッチ」が毎月更新を続け十年経ちました


 早いもので2002年3月以来毎月更新してきた「季節のスケッチ」のHPサイトが、開設以来10年を経過しました。

 「季節のスケッチ」においては、当初から現在まで次のように心掛けて更新を続けてきました。

『私の格好の散策場所になっている小石川植物園は野趣に富み、いつ歩いてみても季節感あふれる植物たちに出会うことが出来ます。この季節のスケッチは、植物園の風景や植物の写真を中心として、さらには帰郷したときの郷里の風景や内外の旅行先の写真も加えて、毎月更新しています。』


 これは懐かしい最初の各月コンテンツ、平成14年3月号(2002年)です。日比谷公園や池袋サンシャインビル近辺の風景を中心にした極めて簡単なものでした。この後の各月コンテンツは、わが家のすぐ近くの小石川植物園の風景や植物の写真を中心にして、時折国内各地や海外の風景写真も加えています。
   全バックナンバー  各月内容紹介



 更新作業を10年間にわたり毎月続けるということは、正直大変なことで、挫けそうになったことが何度もありますが、今となって見ると、「継続は力なり」と言うように続けて良かったと思っています。特に、次のようにメリットが大きかったと感じています。

1)植物がぐっと身近に
 「季節のスケッチ」を始めた頃は、植物に関する知識は殆ど持ち合わせてなく、木々や花の名前も書物や歌詞の中に出てきたものを頭で覚えているだけといった感じでした。それが、毎月植物の写真を撮り、その説明文をHPにアップするとなると、樹木、花、雑草(野草)の事典などを次々と買い求めたりして、その植物の名前や性質などを必死になって調べなければなりません。そうこうしているうちに次第に名前も覚えます。名前を覚えると、その植物に対する親近感がぐっと増します。名前だけしか知らなかった野の花が目の前に現れると、その「新たな出会い」に感激してしまいます。


2)健康管理に役立つ
 HPの更新作業は毎月行います。このため、天気の良い週末は出来るだけ小石川植物園に出かけ、HPの素材を仕込むようにしています。じっくり時間をかけて植物の写真を撮りながら園内を周遊します。大体1~2時間の森林浴になります。途中、鎮守の森の主のようなクスノキの巨木の幹に掌を当て、木の精との会話を試みることもあります。この時期には新緑に安らぎを感じ、秋には紅葉・黄葉の美しさに感動します。この季節のスケッチの更新作業がなければ、休日は家でごろ寝しているのが関の山です。還暦を過ぎてた体の健康管理のために本当に役立っていると感謝しています。


3)継続は力なり
 各月のコンテンツの更新がかなり長く続きましたので、蓄積されたアーカイブがまさに「継続は力なり」になっています。すなわち、各月分以外にも、特定のテーマに沿ってアーカイブを横断的に整理し、次のような色々な特集コンテンツとして取りまとめるに至っています。

  四季の植物 野の花プラス  春の妖精たち
  梅 百 科 サクラの風景 ツツジの花々
  秋 の 七 草  都心の紅葉
  海 外 の 風 景  山形風景(全集)

先日も、新たに「ツバキの仲間」をアップしました。


 今後も、新たな出会いを求め、そして自分の健康維持のため、出来るだけ長く「季節のスケッチ」づくりを楽しんでいきたいと思います。

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2009年12月 3日 (木)

ありし日の平山郁夫画伯を偲んで

 日本画家の巨匠、平山郁夫画伯が12/2に永眠されました。仏教やシルクロードの歴史・風物、各地の文化遺産などを主題にした作風を確立して、力強くも柔らかなタッチの作品は本当に魅力的でした。

 平山画伯の画家としての活動はもちろん、文化遺産の保存・修復や世界平和のための活動等の幅広いエネルギッシュな行動の原点には、広島での被爆体験があるとのこと。燃えさかる炎に包まれた広島の鎮魂を願う広島生変図を鑑賞したときは、その凄まじさに身が凍ってしまった覚えがあります。

 ところで、仕事の関係でのお付き合いでちょっとした画伯の思い出があります。かなり前になりますが、文化財などをデジタル化して保存するための団体であるデジタルアーカイブ推進協議会の会長をやっていただいておりました。協議会の懇親会では会長挨拶があります。ところが、その時の話はデジタルアーカイブのような小さい話題ではなく、中国の主席との会見とか、政府高官の依頼で北朝鮮に行ってきたときの話とか桁外れに大きな話題がどんどん飛び出してきて、そのスケールの大きさに本当に驚きました。

 その一方で、細やかな気配りも忘れません。協議会のことで、年末鎌倉のアトリエに画伯を訪ねた時のことです。用件が終わってお暇しようとしたときに、ちょっと待ってねと言って別室に引っ込んだかと思ったら、ご自分の絵が載っている来年のカレンダーを人数分だけもってきて、しかも持ちやすいようにクルクルと手で丸めてビニール袋に納めた上で、我々に手渡してくれたのです。こんなご高名な方がと恐れ入り、そして行き届いた心配りに感激したものです。

 その後は、お会いする機会もありませんでしたが、画伯の展示会があるときなどは駆けつけたものでした。この頃では79才は「まだまだ若い」年齢ともいえます。もう少し長生きしていただいて、画壇の発展のため、そして世界平和の実現のため活躍していただきたかったと思います。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

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2008年7月20日 (日)

プラズマテレビ


 ケイマYです。昨日プラズマテレビが届きました!42インチはさすがに迫力十分ですね。画質もキレイでDVDもまさにそこに参加しているかの如く見ることが出来ました。さっそく、英会話やガイアの夜明け、NHKスペシャルなど予約してます。

 お勧めの番組があったらまた教えて下さいよろしくお願いします。

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2008年7月11日 (金)

ブログの始まり - Back to the 2008

 「団塊人の散歩道」のブログを始めました。よろしくお願いします。実は、同名のホームページサイトは前から作っています。

 このサイトの運営だけでも結構大変ですので、ブログ作りには気が向かなかったのですが、先日、やはりこのブログと同名の「団塊人の散歩道」というエッセイをある団体誌に投稿しました。

 このエッセイには、203X年のある日に団塊人(A老人)が登場して、『最近は「団塊人の散歩道」というブログを立ち上げ、回想録のようなものを作っているようです。』と書いたものですから、その「責任」を取って、本物の「団塊人の散歩道」のブログを始めることにしました。(→ マイ・エッセイ:団塊人の散歩道

 このエッセイに出てくる BEANS は、素晴らしい可能性を秘めた未来デバイスのことですが、後日改めてご説明したいと思います。

 いずれにしても、運営があまり負担にならないようにHPと連動させながら気軽に取り組んでいきたいと思います。

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後記)
 季節のスケッチの各月サイトは2002年3月から始まっています。そこで本ブログにて紹介した方がいいと思われる内容については、遡ってブログ記事化を進めていくことにします。2018.12記



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