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2011年3月

2011年3月27日 (日)

大震災から2週間、カンザキオオシマの桜の花が満開


 東北・関東大震災の発生から2週間過ぎました。毎日食い入るようにテレビ画面を見ているせいか、一日一日が本当に長く感じられます。もう1ヶ月以上も経ったような錯覚を覚えます。
               
  東北自動車道が全線開通し、ようやくガソリン・灯油や食料などの救援物資が被災地に送り込まれるようになりましたが、長引く避難所暮らし、瓦礫の山の市街地や港湾、依然として多数の行方不明者など、まだまだ大変なことが山積みになっています。また、今日の被災地では無慈悲にも雪が降っているようで、家の外で寒さをこらえるのはつらいことです。さらには、福島第一原発の放射能問題もなかなか収束せず、避難者の拡大、野菜や牛乳の出荷停止、乳児用飲料水の汚染等々、復旧作業に新たな課題が突きつけられています。わが国全体の復活のため、チーム日本が一丸となって難局に立ち向かっていきましょう。
 (福島第一原発の全景:ふくいちライブカメラより)
  福島第一原発の全景(ふくいちライブカメラより)

 さて今日の東京は気温はやや低めでしたが、明るく晴れ上がりました。小石川植物園の暦の通りに開花する花々を見ると、沈みがちな気持ちが少しだけ軽やかになったような気がします。
                 
             
 ソメイヨシノの桜の開花はまだですが、今日は白く清楚な花のカンザキオオシマ(寒咲き大島)が満開になっていました。圧倒的なボリュームで、見事な眺めでした。植物園内では年末から、ヒマヤラザクラ(12月)、カンザクラ(1月~2月)、カンヒザクラ(3月)、オカメザクラ(3月)と次々といろんな品種のサクラの花が次々に咲き出してきて、真打ちソメイヨシノの開花への期待感が徐々に盛り上がってきます。
                 
             
  満開のカンザキオオシマの隣接した区域の風景です。イチョウの木、ニレの木、スズカケの木などの高木はまだ冬木立のままですが、手前にはハヤトミツバツツジ、早春桜、シナミズキなど色とりどりに花々が咲き出していました。
                 
             
 上の風景の黄色の部分は満開になった中国原産のシナミズキ(支那水木;マンサク科)。春の到来を待ちかねていたかのように、あざやかに一斉に開花します。小粒の黄色の花が連綿と細枝に咲き出し、青空のキャンバスにあふれんばかりに点描されていくようです。
                 
             
 園内の奥まった部分に代表的なスプリング・エフェメラルのカタクリの花の自生地があります。今日はどうかなと思って、立ち寄ってみたら、周りのクマザサの隙間からカタクリの花が咲き出しているのを見つけました。今年初めての出会いで本当にうれしいものです。
                 
             
 メタセコイア林の近辺にバイモ(貝母;ユリ科)の花が控えめに咲いていました。花の形はつり鐘状になっていますが、釣り鐘のウラ側の模様が神秘的です。この模様から、編笠百合の別名が付いています。バイモは中国原産で、日本にはせきどめや止血、解熱などの薬用植物として渡来。
                 
             
 園内の池の周りをよく見てみると、ツクシ(土筆)が立ち並んでいました。ツクシの色が周りの枯れ草などと似ているため、うっかり通り過ぎるところでした。ツクシはスギナ(杉菜;トクサ科)の地下茎から伸び出す胞子茎です。よくみると、すぐ近くに小さなスギナが見えます。
               
 これ以外にも、多くの木々の花、野の花たちが顔を出してきました。いよいよ春爛漫の季節を迎えます。

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2011年3月19日 (土)

大震災から1週間、春の彼岸に満天の鎮魂花


 あの巨大地震発生から長い長い1週間が経ちました。一向に進まない被災地救援に被害の甚大さが窺えますが、一刻も早い組織だった支援活動の展開が望まれます。一方、福島原発は、自衛隊や全国の消防隊の決死の努力により収まりを見せてつつあるようで、ひと安心です。現場で懸命に働いておられる方々には、本当に頭が下がります。

 今日から3連休で、春の彼岸に入っています。このような状況下ですので遠出は出来ず、すぐ近くの小石川植物園に出かけてきました。今日の自然はやはり美しく、限りない癒しを与えてくれました。陽春の天気で、満天に赤、白、黄の花々が広がり、まるで今回の震災被害者への鎮魂花のようでした。
                

   満天に真紅の花、沖縄に自生するカンヒザクラ(寒緋桜)の花が広がっています。寒緋桜の原色の濃い赤紫色の大粒の花が、心を揺さぶるような強烈な印象を与えてくれます。
                

 白い迎春花です。春を迎え無数の小さなコブシ(辛夷;モクレン科)の白い花が高い樹上に咲き出していました。『白樺 青空 南風 こぶし咲く あの丘 北国の ああ北国の春 ……』の歌にコブシの花が出てきます。この歌の印象が強く、コブシの白い花を見ると、東北の春を連想します。
               
  満開のサンシュユ(山茱萸;マンサク科)。小さな黄金色の花が点々と木枝の至るところから吹き出しています。この時期のサンシュユは、木全体が黄金色に輝くことからハルコガネバナとも呼ばれています。サンシュユは、中国、朝鮮半島原産の落葉小高木で、江戸時代中期に薬用として渡来。
     
 園内に関東大震災の記念碑があります。大正12年9月1日の大震災によって東京市内が大きな被害を受け、焼け出された市民3万人以上が植物園に避難したそうです。今回の東北関東大震災といい、過去の関東大震災といい、自然災害の恐ろしさを実感します。
               
 木々の花だけでなく、野の花も賑やかになってきました。これはヒガンバナ科の多年草ハナニラ(花韮)の白い華奢な花です。春の日差しを受け、園内のあちこちに群生しています。花がきれいな星形をしているのでベツレヘムの星とも呼ばれます。
               
 ハナダイコン(花大根;アブラナ科)の紫色の花です。植物園の空き地に群生し、辺り一面を花で覆いつくす様は見事です。欧米では伝統のある園芸植物で、当初日本には観賞用に渡来したが、その後野生化したとのことです。

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2011年3月14日 (月)

東北関東大震災(マグニチュード9.0)すさまじい被害をもたらす


 3月11日(金)午後2時46分、三陸沖を震源とした巨大地震(→ 政府資料)が発生しました。ちょうどその時、私はつくばの産総研で会合に参加していました。建物がガタガタと揺れ始めました。揺れはいつまでも収まらず、むしろ一層大きくなって、このままでは天井が落ちてくるのでは思い、思わず近くのテーブルの下に潜り込みました。これは、首都直下型の大地震がとうとうやってきたに違いないと思いました(ちなみに、このときのつくばの震度は6強)。

 しかし、外に飛び出して情報収集してみると首都直下型ではなく三陸沖のM8.8(のちにM9.0に変更)の地震で、震度7とのこと。M8.8にしても震度7にしても、今までの記憶にない超特大の地震です。一体どんな事態が進行しているのか、その時は想像もつきませんでした。

 
            (Google航空写真より作成)

 その後、テレビで高さ10メートルを超える大津波の様子が繰り返し繰り返し放映されました。巨大地震によって引き起こされた大津波が楽々と防波堤を乗り越え市街地に襲いかかります。しかも、自動車、家、貯蔵タンクそして飛行機までもが津波に流され、一緒に激流となって建物にぶつかっていきます。たまったものではありません。あっという間に町中は瓦礫の山です。高台に避難した人々は泣きながら、あるいは茫然自失の表情でその出来事を見つめています。

 私は、現実の出来事とは思えませんでした。まるで悪夢を見ているかのようでした。東北は私の地元で、愛着があります。それなのに、何万人もの実直な東北の人々が営々と築いてきた生活が一瞬のうちに崩壊してしまったのです。本当に信じがたい光景です。想像を絶する大災害です。いつもの自然はやさしい顔をしていて、私たちを癒してくれて、生きる勇気を与えてくれます。それなのに、何かの拍子に表情が一変して、無慈悲にも生きる喜び、愛する家族との語らいを奪い取ってしまいます。あらためて災害の恐ろしさを思い知らされました。

 つくばで大地震に遭遇した私たちは、その後東京方面の交通がすべてストップしていましたので、避難所に指定されたつくば駅の近くの吾妻小学校で一夜を過ごしました。避難所の生活は快適さからは程遠いものでしたが、乾パンや飲み水をいただき飢えや寒さをしのぐことが出来ました。そして小学校の職員の方々には徹夜で世話をしていただきました。緊急時とはいえなかなか出来ないことです。頭の下がる思いでした。本当に有り難うございました。


           つくば駅近くの避難所(吾妻小)

 東北の話に戻りますが、一刻も早く瓦礫を取り払い、港湾を再建し、市街地を整備し、やがてかつての美しい自然、暖かい人々の団らんが取り戻せることが出来るようにと心から願っています。

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2011年3月 6日 (日)

栃木の里山に群生する節分草(セツブンソウ)


 啓蟄の日(3/6) は、本当に冬眠の虫が地上に顔を出すようなポカポカ陽気でした。天気もよかったこともあり、しばらく遠出のドライブをしていなかったりで、今日はスプリング・エフェメラルの花セツブンソウを求めて、栃木市の里山の星野町を訪ねてきました。
   

 三峰山の北側の山裾に位置する星野町は「遺跡と花の里」と言われています。縄文時代の竪穴式復元住居や地層たんけん館などがあり古代ロマンを秘めた所でもありますし、初春からロウバイ、マンサク、セツブンソウやカタクリなどの花が咲き賑わう里山の風景が広がっていることでも知られています。東北自動車道の栃木インターを下りて15分位とアクセスはきわめて便利です。

 目的地の星野町に着くや否や、はやる心を抑えながら案内板の指示に従い、セツブンソウの群生地に一目散に向かいました。
春の光を受け一面に咲き出したセツブンソウ(星野町)
 セツブンソウの群生地は三峰山の北斜面にあります。遊歩道がきれいに整備されていて、ゆったりとした散策路になっています。その遊歩道を歩き始めて山の斜面を見やると、林の隙間から差し込んでくる春の光を受け、セツブンソウが一面に咲き出していました。春の日差しを歓び、光のエネルギーで踊り遊んでるようです。無数の小さくて可憐な白い花があちこちで咲いている風景に出会えた幸運に感謝し、夢中でカメラのシャッターを切りました。
小さくて可憐な白いスプリング・エフェメラル(星野町)
 セツブンソウ(節分草;キンポウゲ科)は関東以西に分布し、谷間の日陰や山麓の木陰に自生します。節分の頃に花をつけることから節分草の和名が付いたとのことですが、この星野の里山では2月下旬から3月中旬にかけて咲き出すそうです。このセツブンソウはスプリング・エフェメラルの仲間です。スプリング・エフェメラルとは広葉樹林の林床などで春先に開花し夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の野の花を総称した呼び名で、「春の妖精」とも言われます。今までセツブンソウに出会ったことがありませんでしたので、近々スプリング・エフェメラルのコレクションに追加ておきたいと思います。 

 向島百花園 実は、昨日もセツブンソウが咲いているというので、都内の向島百花園を訪れてきました。この百花園は、江戸の文化・文政期(1804~1830年)に文人墨客の手で造られた美しい庭園で、大名庭園と異なった趣があります。現在では、東京都の公園となっていて、山野草を親しむ都民の憩いの場にもなっています。

向島百花園に咲くセツブンソウ
 ここではほんのすう数輪のセツブンソウだけが咲いていました。セツブンソウはよく目を凝らさないと春の野に溶け込んでいるようで、うっかり見逃すところでした。ここで初めてセツブンソウに出会いました。初めての出会いの翌日に、大群生地の「発見」です。この週末は本当に幸運に巡り会えました。

 話を星野町の里山に戻します。

桃源郷のような星野町の里山
 セツブンソウの群生地を巡る遊歩道は、この写真のように山裾に設けられています。マンサクやロウバイの黄色の花、ピンクの梅の花なども咲いていて、まるで桃源郷のような所でした。

黄花セツブンソウ(星野町)
 群生するセツブンソウを楽しんだ後は近くの「れすとらん五三六」で手打ち蕎麦を堪能。この五三六はオープンガーデンを公開していましたので、歩いて見たら黄花セツブンソウが満開になっていました。黄花セツブンソウはキンポウゲ科ですが、西洋から渡来した園芸植物で、セツブンソウとは少し趣が違います。、全体にセツブンソウよりやや大形で、葉も厚く光沢もあって、フクジュソウにも感じが似ています。

縄文時代の竪穴式復元住居(星野町)
 縄文時代の竪穴式復元住居もあるこの星野町の里山には、カタクリの群生地もあるようです。カタクリは3月下旬以降に開花しますので、今はまだ咲いていませんでしたが、その頃にも訪れて見たいものです。

   …> 季節のスケッチ(23年3月 星野の里)

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2011年3月 2日 (水)

3月です、「三寒四温」は春の天候?

 3月に入りました。この頃になると、低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、次に高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなり、いわゆる「三寒四温」の天気と言われます。事実、先週の2/25には春一番が吹き、気温も20度に達してポカポカの陽気でしたが、その後みぞれ交じりの雨が降るほどにぐっと冷え込んで、冬に逆戻りのようになりました。

 そもそも「三寒四温」は、中国東北部や朝鮮半島北部で、冬の時期に、約3日間の寒さと約4日間の暖かさが周期的に現れる気象を表す言葉だったのが、その後日本に伝わり、今では春先の寒暖の差が大きい天候のことを指すようになったようです。時とともに言葉の意味も変わってくるようで興味深いですね。

 さて、3月は寒暖の差が大きいものの趨勢としては着実に暖かくなっていきます。3/6の啓蟄の頃には春の陽気に誘われて冬眠していた地中の虫たちが地上に顔を出してきます。そして春の彼岸を迎え、一日の昼の時間と夜の時間が逆転します。そして、3月は草木がいよいよ生い茂る弥生(やよい)と呼ばれるように、春の木々や野草たちが賑やかに咲き競い、新たな生命の息吹を実感できるようになります。


(周りがぱっと華やぐ阿亀桜 2009.3@小石川植物園)


(紅白の梅を背景にした満開のサンシュユ 2006.3@小石川植物園)


 (群生する清楚なハナニラの花 2007.3@小石川植物園)


 3月は本当にいろんな花が咲き出し、壮観です。
   → 「四季の植物」 3月セレクション 

 

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