正月は 上野の山で 初散歩
今冬の北日本は天気が荒れて、郷里の山形でも降雪が続いているようです。その一方でここ東京は青空が広がり穏やかな正月を迎えています。かつて大学に入り初めて東京で暮らすようになった時以来、冬場の日本海地方と太平洋地方との落差を常に実感しています。
さて、この正月は初詣も兼ねて近場の上野の山を散策してきました。年末のテレビ番組が上野の寛永寺のことを紹介していたのが正月散歩のきっかけになりました。そして、上野が徳川幕府と密接に関係があることや東照宮を建立した天海僧正が寛永寺をも造ったことなどを恥ずかしながら初めて知りました。そんな訳で興味津々と上野散歩に出かけました。

初詣先の寛永寺(正式には東叡山寛永寺)。寛永寺は、家康、秀忠、家光の三代にわたる徳川将軍の帰依を受けた天海僧正によって、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の山に寛永2年(1625)に建立されました。東叡山とは東の比叡山の意味で、寛永年間に建てられたので寛永寺と名付けられたとのこと。
この建物は寛永寺の根本中堂(瑠璃殿))です。天台宗の開祖最澄自作の薬師瑠璃光如来像が本尊として祀られています。普段は閉じられていますが、正月は特別で中に入って参拝することが出来ました(写真撮影は不可))。堂内では薬師瑠璃光如来像(お前立ち)の周りを四天王像、十二神将像など18体もの仏像が固めて立ち並んでおり圧巻の光景でした。

往時の寛永寺の境内は広大で、現在の上野公園全域にわたっていたそうです。

東京国立博物館の前の大噴水の場所には新年を祝う大勢の人で賑わっていました。かつてこの場所に根本中堂の巨大な大伽藍が建っていました。将軍綱吉が建立した大伽藍は、間口45m、奥行き42m、高さ32mで、江戸随一の建物だったとのこと。

寛永寺の清水観音堂(重要文化財)です。京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、江戸名所づくりをも目指した天海僧正が建立したもの。お堂のまん前に丸い形に造られた「月の松」が配置されています。

お堂に上って月の松を覗くと、ちょうど不忍池の中に造られた辯天堂が見えます。天海僧正による見事な造作です。

月の松から見える辯天堂は、寛永年間に比叡山麓の琵琶湖竹生島になぞらえて築かれた不忍池中之島の地に建立されました。不忍池の辯天堂の周りは、7月頃に蓮の花が満開になります。

寛永年間に建立された旧寛永寺寛永寺五重塔(重要文化財)。高さ36mで一番上の五層目が銅板葺で他の層は亙葺になっています。桜の冬木立の先に美しく聳えています。現在は動物園内にあるため東京都に寄託されています。

上野東照宮にも大勢の初詣客がいました。東照宮とは、家康(東照大権現)を祀る神社で、日光東照宮、久能山東照宮が有名。金箔をふんだんに使われていて金色殿とも呼ばれています。かつては東叡山寛永寺の一部でしたが、戦後の神仏分離令により寛永寺から独立。







上野東照宮のぼたん苑では、約40品種600株の冬牡丹が見頃でした。冬牡丹は、花の少ない冬にお正月の縁起花として抑制栽培の技術を駆使して開花させたものだそうです。霜よけの藁囲いに包まれて楚々とした可憐な花をつけていました。 また、冬牡丹以外にも芳香を放つロウバイの花などが咲いていました。

京都方広寺の大仏を模した上野大仏。罹災を繰り返し、現在では顔面の部分だけが残り保存されています。もう落ちないということで受験生に人気とのこと。大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立され、薬師三尊像が祀られています。
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